Everyday I Have The Blues

入選

今日、娘が何やら学校からお知らせを貰ってきた。
なになに???

夏休みの宿題というか、市内の全小学6年生がある課題の元に絵画と作文を提出したわけだが、
我が娘の絵がめでたく入選したという内容だった。

ところが、この絵。デジカメ写真をお手本に娘がラフな下絵を描いたものの、、、、、、
色を染めたのは、ほとんど σ(゚∀゚ オレ!!
いや、別に親バカなわけじゃなくて。
普段から娘が余りにもマイ・ペースという名の のろまなので、
人一倍せっかちな私がイライラのあまり、
「ええい、貸せ!」
ということになった次第。

ある場所に2週間ばかり展示されることになったんだそうだ。ヤバイ
娘、嬉しそうな、そうでなさそうな。

で、
ふと考えた。
入賞じゃなくて入選だよな。
ってことは、
入賞を逃したってこと?



小学生の絵に負けたのか _| ̄|○
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# by junec1 | 2007-10-26 21:13 | 娘のこと | Trackback | Comments(2)

棲みついているもの

父親は反面教師。
おかげで、よそ様に迷惑をかけたり、家族を泣かせるようなことはしていないつもりだ。
それじゃ、それで何事にも前向きなのかといえば、残念ながら。

20代・30代で命を落とした友人・知人たちは意外な数にのぼり、私も父親の死因となった持病を受け継いでしまった。「いつ死んでもいい」と虚勢を張るつもりはないが、「いつ死んでも仕方がない」とは考えてしまう。

何かにつけて諦めがつきまとう。
いや、諦めというのは適当じゃない。キザったらしい言い回ししか思い浮かばないのだが、(繰言を言う友人に放った言葉も、かつての同級生が感じ取った私の様子も) 頭だか心だかのどっかに絶望が棲みついているのだろう。
これはもう昔からだ。今日まで拭えないできてしまった。
私が様々な場所で感じるあの違和感も、おそらくはその辺に根っこがある。

その結果としてなのか、(認めたくはないが)やはりあの父親の血が自分の体内に流れていることを強く意識させられる場面が少なくないのだから、困ったものだ。

娘が自立したとしても、その後の彼女の成長を一日でも長く眺めていたい。
でも、できることなら、病床に長く伏せることなく、ある日あっけなく死ねたら、とも思う。
臨終の床でそれまでの日々が走馬灯のように甦ってくれなくてもいい。
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# by junec1 | 2007-10-25 00:01 | 自分のこと | Trackback | Comments(0)

父親

小学校へ上がる前の記憶といえば、ごくわずかだ。

肩をはずす癖があったため何度も病院へ連れて行かれたこと。
上の弟が近所の悪ガキにビンで頭をかち割られ、砂場が血に染まったこと。
下の弟がまだ赤ん坊のうちにどこかの家へもらわれていったこと。
目の前で父親と母親が喧嘩。母親が家を飛び出し、父親もいつの間にか姿がなかった。泣きじゃくる弟を連れて家の外に出て、タクシー会社の前で運転手さんに呼び止められた。私の要領を得ない説明を聞いた彼は私たちにお菓子を買ってくれ、「きっとお母さん帰ってくるから、お家で待ってな。」と言ってくれた。
その弟もいつの間にか家からいなくなっていた。
そして、私も父親にある家へ連れて行かれ、「今日からこの人をお母さんと呼べ。」と言われる。泣きじゃくっておしっこを漏らした私。鬼の形相で風呂場へ連れて行った女性が父親の本妻だった。その日の夜中に雨戸を叩く音。母親が私を連れ戻しに来た。私たち親子は通りかかったマイクロバスに拾われる。

どれもこれもろくな記憶じゃない。

数年後、父親と本妻は協議離婚。
しかし、彼はその時既に3人目の女を作っていた。

あれは小学5年の頃。
ある日、母親は私を連れてあるビジネス旅館へ乗り込んだ。父親はそこで3番目の女と旅館暮らしをしていた。そこで繰り広げられた修羅場は今でも覚えている。
その夜、母親の口から全てのいきさつを聞かされた。
それまで住んでいた家を引き払い、母親は夜の仕事を始めた。慣れない仕事から帰った母親は何度も布団の中で声を殺して泣いていた。馬鹿な男どもに悔しい思いをさせられたんだろう。
父親の目から身を隠すように暮らしていたのだが、狭い町、とうとう見つけられてしまう。それ以降、子供が見なくていいもの、いや、見ないほうがいいものを何度も見た気がする。

父親の姿を最後に見たのは、私が16歳の時だったろうか。
3番目の女との間に男の子をもうけながら、「お前たちと暮らしたい。」と申し出てきた父親を私が拒絶した。その後、彼は3番目の女と結婚。
それから10年もしないうちに、持病をこじらせて死んだことを人づてに聞かされた。死に目には会っていない。父方の親戚が「●●(私)はちゃんと籍に入ってる子なんだから葬儀に呼ぼう。」と説得したものの、彼の妻が首を縦に振らなかったという。
近年まで命日も知らない・墓も知らない状態だったのだが、父方の親戚と関わる機会があり、初めての墓参りを去年済ませた。
彼の妻も彼を追うように30半ばで早死にし、その墓に一緒に埋葬されていたが、今更どうでもいい。

父親は、危うく命を落とすところを生きながらえた人物。せっかく拾った命なら「大事にしよう。」と考えればいいものを、彼の場合全くの裏目に出た。生き残ったことがコンプレックスになり、好き勝手やり放題。迷惑かけ放題。
彼の口癖は図らずも
「俺なんか、いつ死んだっていいんだ。」だった。

つづく
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# by junec1 | 2007-10-24 03:55 | あの日 | Trackback | Comments(4)

いつ死んでもいい人

またもや昔話。
中2の時の同級生。一度も女性を意識したことのない相手。お見合い結婚後、一人で実家に帰ってきた時(出産のためか?)に電話をくれた。25歳だった。

「あぁ、この人はいつ死んでもいい人なんだな、って感じてた。」
今ひとつ意味が呑み込めなくて、当惑。、、、自殺ってことか? それはあり得ないけどな。、、、、、

「なんでそう感じたわけ?」
「はしゃいでいたかと思うと突然ふさぎこむ。そういう時は全くの別人で、とても話しかけられなかった。自分じゃ覚えてないかもしれないけど、そんな感じだったのよ。」
「初耳だな、それ。」
「こつこつ勉強する努力型じゃなかったよね。宿題だってろくにやってこなかったし。かといって、不良なわけでもない。」
「怠け者ってことだな。」
「なんかね、他の子とは違うこと考えてるって感じだった。みんながテストの点数や内申書を気にしている中で 『そんなのどうでもいいや』 みたいな風で。それでも★★高校入っちゃうわけでしょ。その落差が不思議だった。」
「もっと真面目にやってれば●●高校入れたのに、とは言われたよ。でも、虫が好かないから、あそこ(笑)」
「ほら、そういうとこだよ。そういう言葉が負け惜しみに聞こえないのよ。そこそこの成績とってて受験を真面目に考えてる子達ってさ、先生にも従順だし、少しでもいい学校、って考えるわけじゃない? だから、この人、自分のこと大事じゃないのかなぁって思ってた。 」

さすがはこいつ。よく見てやがる。痛いとこついてくる。
「、、、ほらさ、中2の時アンタと一番仲良かったじゃない? 不思議だけど、男女ひっくるめてクラスで一番仲良かった。こないだ、◆◆さんにも 『いつも二人でしゃべってて』って言われたよ。」
「うん。」
「卒業後に付き合ってたら、ことによっちゃ今頃結婚してたのかもな。(笑)」
「面白かったかもね。」


もし、こんな彼女に 『いつ死んでもいい人』 という印象を与えていたなら、それはあいつが原因だ。
好き勝手滅茶苦茶やって、さっさとこの世からおさらばしたあいつ。


私の父親だ。

つづく
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# by junec1 | 2007-10-23 10:33 | 自分のこと | Trackback | Comments(0)

いつかは

アホネタで息抜きしたので、次はちと重い話。
第一回目は映画ブログ 『二番館劇場』 に書いた5ヶ月前の記事を一部転載。

平均寿命、あるいは平均余命。
本来は医療技術の進歩を広く知らしめるのに最も効果的な数値なんだろう。でも大抵の人は、そんなことより何より、「自分にはまだ ●年ある」と算用しているのではないか。「自分もせめてその年齢ぐらいまでは生きたい。」という願望が、いつの間にか「まだ ●年ある」にすりかわっていく。

早死にした父親の死亡時年齢に私もあと5年で追いつく。彼の死因ともなった同じ持病を持ち、しかも体調は決して良くない。
私の友人にも同じような奴がいて、彼は医者に止められている酒を飲んでは「俺は長生きできない。」と電話で繰言を言う。しらふの私は毎度のように答える。「たとえ長生きしたっていつかは死ななきゃならない。お前みたいのは平均寿命を超えて生きても、『もうあとがない』って騒ぐんだろうな。」

嫌でも自分の身の上に死臭を嗅ぎ取る中年世代。その日までもがくか、あがくか、受け入れていくか。

、、、、、てな話を何回かに分けて書き進めることに。
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# by junec1 | 2007-10-22 20:17 | 自分のこと | Trackback | Comments(0)

親バカ

ここ (女の子の脚の長さがわかるページ 身長と股下の平均) をクリック。

私の娘は身長154cmで股下74cm。12歳。
このページで見ると、かなり脚が長いほうだと思うんだが、、、、、、

ちなみに体重35.8kgで、体脂肪率14.5パーセント。


こりゃあ、将来はモデルしかねぇべ。
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# by junec1 | 2007-10-21 15:59 | 娘のこと | Trackback | Comments(2)

写真

過去を振り返ったついでに、、、、、、

20代に片思いしていた(思いは伝えてあったがいい返事はなかったし、紆余曲折、色々複雑な事情が絡み合っていて、彼女に対しては品行方正にしていた)わけなんだが、

そんなある時(23歳ぐらいだった)、
待ち合わせの喫茶店にやってきた彼女が、家から持ってきた自分の写真を大量に見せ始めた。
彼女の家業の★★店営業終了後間もない時刻の約束だったから、私に見せるために予め用意してあったんだろう。でも、それ以前に「見せてくれ」などとは言っていない。
短大時代、高校時代、中学時代、小学校時代、いや、もっと小さい時のものまで。とにかく大量に。
アルバムも持ってきたと記憶している。

あれはなんだったんだろうか??? 私との会話がつまらないから話題づくり(笑)???
回答募集中。
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# by junec1 | 2007-10-19 15:22 | 気になる | Trackback | Comments(5)

普通であること その3

実は、今回の投稿は昨日の記事の後半部分として考えていたもの。それではあまりにも長くなりそうだったので、2回に分けることにした。なので、昨日の記事とセットで読んでいただければ、投稿意図が多少なりとも明らかになるのではないかと。

さて、同窓会というイベントについて、ここ(Yahoo! 知恵袋)をクリック。
投稿された質問は 『同窓会に出ない人ってどうい(し)て出ないの? 久しぶりに会いたいと普通は誰でも思うでしょう?』
ここでも「普通」という言葉が飛び出している。

A小学校同窓会の運営に携わった中心メンバーは、ネットを介して同窓生の消息や同窓会への出欠について情報交換している。「●●クン、出席するとの返事でした。」みたいな。
ある女性幹事、消息のわかったある同窓生に電話を入れてみたらしい。ところが相手の反応は自分の想像していたものとは違っていた。いや、想像もしていなかった返答が返ってきた。誰が聞いても「そんな訳ないだろう。」というような。
女性幹事はその電話でのやり取りを「」(かぎ括弧)付きで詳細に報告配信。中心メンバー間に限らず他のA小学校卒業生も閲覧できる。彼女の価値観からすれば「久しぶりに会いたいと普通は誰でも思うでしょう?」なんだろう。
何が何でも同窓会を成功させたい? でもその前に、
そういう返答をした彼の心情を察しろよ。
同じ学校を一緒に卒業した仲間意識を強調するなら尚の事。
彼が快くない返事をした裏に何があるのかはわからない。前述の、Yahoo! 知恵袋で指摘されているような事なのかもしれないし、それ以外の事情なのかもしれない。何にせよ、はっきりしているのは、「貴方たちとは関わりたくない(少なくとも今は。あるいはこれから先も。)」
なんで彼のその心情を自分の胸の内だけに収められないんだろうか。

中心メンバーの一人に懐かしい名前があった。中2の同級生。
彼のタイプからして珍しい役割を引き受けたもんだ、と思っていた。その彼が2回目以降は同窓会そのものに出席していない。
初回の同窓会以前に彼に関する書き込みがあった。名指しだ。
「★★クンは幹事なのに、どうして、、、、、、、」

幸せな強い人たちだ、と思う。
そういえば、「男子ならここが県内で一番、女子ならここ。」といった高校に進んだ顔ぶれが中心メンバーを占めている。社会人になってからも一流企業の戦士だったり、医者だったり、ハイソな奥様だったり。
毎回同じような顔ぶれの同窓会。そこに1回ごとにチラホラといつもと違う顔。
「今年は出席率何パーセント。」と一喜一憂の様子だが、欠席する学友の心情や事情を慮るよりも同窓会の成功が優先するんだとしたら、
あるいは余裕の見せ合いっこに幸せを感じるんだとしたら、
そういう人たちが運営する同窓会や掲示板なんて、、、、、、、、ごめんだな。

確かに、いっときだけは昔に戻れはするけれど、よく見りゃお互いにもう昔の自分じゃない。
、、、、、、、、みんな遠くへ行っちまったな。
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# by junec1 | 2007-10-18 13:06 | 自分のこと | Trackback | Comments(2)

普通であること その2

A小学校同窓会掲示板にアップされる写真は、ちょっとしたお出掛けも含めた旅行写真がほとんど。
風景や植物や名所旧跡。その前でパチリの記念写真。小奇麗な店での飲食風景も目立つ。
特に海外旅行の写真において顕著なんだが、
皆さん、何故にこうもおしゃれなのか?????
『旅行のために洋服を買う』という習性を常々理解出来ないでいる私とでは、雲泥の差。
恐らく、私と彼らでは旅に関する概念が根本的に違っているのだろう。

このサイト(Yahoo! 知恵袋)をクリック。
投稿された質問 『夫がひとりでよく海外旅行に行きますが、これって変でしょうか?』を目にした時には「ネタか?」とさえ思った。更に、そこに寄せられた幾つかの回答には爆笑(特に上から2番目、5番目、17番目の回答)。と同時に憤慨さえした。当たり前のように「普通」と公言するその自信。
(# ゚Д゚) ムッカー
中立派や賛同派にしても「世間一般では理解されないかも」とおっしゃっている方が多いところを見ると、やはり私は明らかに少数派らしいのだが、、、、だとすれば、「普通であること」は少数派であることよりそんなに価値のあることなのか?

バックパッカーとまではいかないが、私も一人旅はよくする。高2の夏の国内旅行から始めて、つい3年ほど前まで(最近は体調が思わしくない)。
家族で海外に行ったのは、2002年の暮れから正月明けまでのニューヨークが最後で、それ以降の1年半、2004年の6月までに3回の海外一人旅をしている。
仕事半分ということもあったし、娘の学校の都合もあったが、基本的に一人が好きなのだ。
飛行機のチケットから宿の手配まで全部自分でやる。旅行代理店に任せたことは1度もない。
高級ホテル・高級レストランは無縁だし、観光名所にもほとんど行かない。なので、おしゃれなどする必要がない。

年齢相応に分別を働かせれば、旅行におしゃれして行く彼らの方がまっとうなのかもしれない。未成年の女の子にあれこれして逮捕されたあの教頭(アスピリンスノー)が言うように、「そこそこの年齢になったら身だしなみに気をつけなければ信用してもらえない。」のだろうから。
確かに、一目で観光客然としていれば、それなりの扱いはしてもらえる。ヤバイ場所にさえ近づかなければいい(名所旧跡でカモられることもあるが)。
彼らはおしゃれに見合うもてなしを受けることを望み、そうした贅沢な非日常を味わうことに旅の意味を見出しているのかもしれない。髪には油気があり、糊の利いたシャツをズボンの中に差し込み、ブランド・ショップの前で写真を撮り、ドレス・コードのあるレストランでディナーをとる。実ににぎやかな掲示板だ。

方や私は、自分がそこを訪れた証拠写真すら撮らないし、わざわざ外国まで行って何をするでもなく一日終わってしまうことの方に贅沢な非日常を感じる。せいぜい着古したTシャツの背中にリュックしょってレコード屋巡り。多少のヤバイ場所へ行っても誰も近づいてきやしない。とても金があるようには見えないんだろう(笑)。 (∀`*)ゞイヤァ
ニューヨークの家族旅行でさえ、アパートメント・ホテルに2週間滞在し、その半分は自炊生活。バッグや靴は買わなかったが、スーパーマーケットで食材の買出しはした。( ^ω^ )ニコニコ

前述のサイトで中立派や賛同派の多くが語っている『価値観の違い』。
それが旅に関するものだけならいいんだが、、、

ということで、次回は  普通であることへの違和感 その3。
A小学校同窓会から感じた 『自分が多数派で普通であると信じている人たちは、そうでない者に対しどうして狭量なんだろうか。哀しい (´・ェ・`) 』 というお話。
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# by junec1 | 2007-10-17 12:13 | 自分のこと | Trackback | Comments(2)

普通であること その1

A小学校同窓会の運営に携わった中心メンバーは、その後も交流が活発なようだ。
というより、同窓会をきっかけにして新たな交流が始まったかのよう。
同窓会出席者の半数ほどがML登録(数で言えば卒業生の20%程度)。
更にその半数ほどがMLや掲示板で盛んに発言。
それだけに留まらず、連絡を取り合っては食事会や飲み会や日帰り旅行を楽しんでいるらしい。
その時々でメンバーの顔ぶれを変えつつあちらこちらに出掛け、その様子が写真入りで盛んに掲示板にアップされている。
その他にも家族旅行の写真やらを披露しあっていて、実ににぎやか。

悲しいかな、私はこういう付き合いがひどく苦手だ。
そもそも、つるむのが嫌いときてる。
子供の頃から今日の今日まで、どんな環境の中に身を置いていたとしても、「自分がこんな所にいてもいいんだろうか。」と違和感を感じ続けてきた。
常に自分が異端である感覚。
「思い過ごし。考え過ぎ。他人との間に垣根をつくり過ぎ。誰もお前のことをそんな風に思ってない。」
、、、、、でもね。これって、他人が自分をどう見ているか、他人からどう見えているかの問題ではないのだよ。
どうにも抑えられない自分の思いだから。、、、、たとえ周囲から「面白くて優しい。」との印象を持っていて貰ったとしても、、、、、、、

私の一番の親友は高2と高3の同級生。彼は2浪して京都大学に入り、休みで帰省した時には、実家に帰るより先に私を訪ねてくれた。
卒業後、念願の新聞社に就職したが、8ヶ月ほどで「自分には合わない。」と辞表を提出。
当然のことながら、周囲から色々言われたらしい。
一時帰省して「先のことはこれから考える。」と言い残した彼。京都で亡くなったのは、それからわずか3ヵ月後だった。
類は友を呼ぶ? お互いがお互いに根無し草の匂いを嗅ぎ取ったのか、妙に馬が合った。
テレビで映画 『イージー・ライダー』を観たあとに、「自由を語ることが大好きな人間でも、自分と違う自由な生き方をしてる奴を見ると不安になる。だから排斥しようとする。」という台詞に痛く感動していた彼を昨日のことのように思い出せる。
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周囲から変わり者と見られていた点において私を遥かに凌駕していた彼。
もし生きていたとしたら、今でも変わらない彼だったんだろうか。それとも年齢相応に、、、、、。

さて、次回は同窓会掲示板から感じた   年齢相応に普通であることへの違和感 その2。
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# by junec1 | 2007-10-15 12:38 | 自分のこと | Trackback | Comments(2)