Everyday I Have The Blues

VOW WOW (12) 解散その2

改めて「キラリ熱熱クラブ」観たんですけど、やはりつまらなかったです。イギリス時代の曲(NEIL MURRAYがレコーディングに参加したTELL ME含む)はともかく、SPEEDとかMOVE TO THE MUSICなんてVOW WOWのやるべき曲じゃないですよ。「夜のヒットスタジオ」でプレイしたSO FAR, SO GOODも同様。なんだ、この当たり前の平均的アメリカン・ロックは!人見元基が歌ってなかったらクソみたいなもので・・・・・、と超極私的な意見表明から始めます(笑)

5月28日に武道館でたった1度の日本公演。この公演もコンプリートではありませんがビデオ化LD化されています。そして、この公演以後再び彼らは沈黙します。
アメリカでの本格的活動開始のはずなのに。
アルバムのリリース、レーベル契約が難航していたものと思われます。日本人であることもかなりの足かせになったといいます。イギリスでは「日本人のハードロック?面白そうじゃないか。」でも、アメリカではそうはいかなかった。私、アメリカのマーケットを意識してレコーディングしたばかりに裏目に出たと信じて疑いません。彼らの良さが消えてしまってますから。
意識したにも関わらずブリティッシュ臭さは抜けず、アメリカのレコード会社に売れるアルバムと判断されなかった。それどころか、それまでのVOW WOWを評価していた第二のお里であるイギリスでさえ『MOUNTAIN TOP』はリリースされず。

周囲の評価はどうであれ、出来上がったアルバムに自分たちが自信を持っていて、LAでのライヴ活動がイギリス同様に行えたのであれば(結局渡米後1本もやっていません)解散はもう少しあとだったんだろうと思います。たとえアメリカでのリリースがうまくいかなくても。
または、アメリカでのリリースが決まりさえすれば、たとえアルバムの方向性や出来に満足していなかったとしても、メンバーから解散の声があがることはなかったでしょう。
彼らの内と外で八方ふさがりの状態。それが5月28日以降の沈黙だったんだろうと・・・。

b0028912_22192088.jpgアメリカという選択にしてもBOB EZRINという選択にしても、この時期のバンド内主導権は間違いなく山本恭司にあったんだろうと思われます。
イギリス時代もそうではあったんでしょうが、人見元基のヴォーカルと厚見玲衣のドラマチック・キーボードにかなりの部分で譲歩していました。渡英後彼のギター・プレイが叙情的な方向に変化して、美しいメロディ・ラインを奏でるようになったのもこうしたことからでしょう(彼自身にとってはイギリス向けのスタイルをとっただけのことかもしれませんが)。
VOW WOW解散後のWILD FLAGや現BOWWOWを聴く限り、彼の本来好きなプレイはワイルドなアメリカン・ハード。全キャリアを通してみれば、むしろVOW WOW時代の方が異色です。
バンドが渡米することに最も積極的だったでしょうし、最も夢を描けるのも彼だったんでしょう。商業的成功とかに最も野心があったのも彼。というか、彼にとってはBOW WOW結成当時からそうした成功を意識することが当たり前だったわけですから。
悪い言い方をすれば、成功するためには変節をもいとわない山本恭司。日本語のポップ路線もやったしイギリス向けのサウンド・プロダクションも、そしてまたアメリカへ。彼にとってはすべて自然な流れだったんでしょうが、他のメンバーとの温度差は少なからずあったことでしょう。
「夜のヒットスタジオ」で司会者が「へヴィメタの・・・・・。」と紹介した時、人見元基が「せめてハード・ロックと言って欲しい。」と遠慮がちに発言したことがありました。しかしながら、恐らく山本恭司はどう呼ばれようと成功すれば許せたんではないかと。

10月、沈黙を守っていた彼らからマスコミ向けに1本のFAX。・・・解散・・・

さて、次回はその後のVOW WOW。
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by junec1 | 2004-11-24 22:24 | 音楽・VOW WOW
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